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テロ現場訪問 ヒロシマを再認識 | |||||||||||||||||
そして迎えたライブ。「はるばる広島から来るなんて…」。喜んだ現地の広島県人会の協力もあり、ニューヨーク駐在の日系企業社員や地元市民たち約百三十人でほぽ満席になった。 |
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♪始まる 広島から今 歌おう 平和の祈りを 踊ろう 世界に届くように (新曲「ピースカーニバル」) オープニングから半時間、平和への祈りを込めて古田さんが作つたピースソング三曲をメーンに計五曲を、六人は日本語で熱唱した。勢いに乗って二日後には路上ライブにも挑んだ。 「二度と原爆を落としてほしくない、という思いが日本語で通じるのか、心配だった」。音楽大一年の梨沙(一九)=佐伯区=は明かす。 予想は外れた。手拍子や歓声が、一曲ごとにわき起こったという。「想いを込めて踊り、歌えた』大切なのは言葉じゃなくて、気持ちなんだと分かった」と千春は喜ぷ。 |
![]() 渡米時の写真や現地紙の記事などを広げ、 思い出話をする古田さん (前列左端) たち |
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古田さんは、昨年から八月のライブ「プレイ・フォー・ピース・フロム・ヒロシマ(広島から平和の祈りを)を広島市内で始めた。「未来を背負う若者がヒロシマの思いを海外にも届けよう」と、今回の米国ライブを呼び掛けた。 「広島でのピースライブにも参加したけど、今思えば、本当の狙いが分かっていなかつた」と悔やむ高校二年の佑香(一六)=呉市=は「来年夏のピースライブは、違う歌い方ができる」と力強く話した。 |