(第三種郵便物認可)

米国ニューヨーク市で路上ライブを繰り広げる「Will Be All」
          (9月7日、古田さん撮影)
 広島を拠点に、アーティストを目指す若者を育てる下関市生まれのシンガー・ソングライター古田瑶子さん=広島市西区。被爆六十年に世界平和を願うヒロシマの思いを音楽で伝えようと、少女六人のユニットを連れ米国ニユーヨーク市でピースライブを初めて開いた。
(梨本嘉也)
自主製作CDでデビューしている十四-二十歳の少女六人の「Will Be All。八月下旬に渡米し、ダンスや歌を仕上げ、九月五日夜のライブに臨んだ。当日は、古田さんの呼び掛けに応じ、日米のアーティスト十人も出演した。
 渡米前は、ユニット全員が平和を意識していたわけではなかった。渡米四日目。米中枢同時テロ事件の現場「グランド・ゼロ」を訪ね、六人は衝撃を受けた。最年長の千春(二〇)=中区=は「たくざんの人が亡くなった事実が胸に迫り、原爆ドームのメッセージと重なった。『自分がヒロシマを伝えなくちゃ』と初めて思えた」。高校二年生の佳穂莉(一七)=東区=も「原爆ドームの風景を見慣れ、平和の意昧を深く考えていなかった」と振り返る。
テロ現場訪問 ヒロシマを再認識
そして迎えたライブ。「はるばる広島から来るなんて…」。喜んだ現地の広島県人会の協力もあり、ニューヨーク駐在の日系企業社員や地元市民たち約百三十人でほぽ満席になった。
 ♪始まる 広島から今
  歌おう 平和の祈りを
  踊ろう 世界に届くように (新曲「ピースカーニバル」)
 オープニングから半時間、平和への祈りを込めて古田さんが作つたピースソング三曲をメーンに計五曲を、六人は日本語で熱唱した。勢いに乗って二日後には路上ライブにも挑んだ。 「二度と原爆を落としてほしくない、という思いが日本語で通じるのか、心配だった」。音楽大一年の梨沙(一九)=佐伯区=は明かす。

 予想は外れた。手拍子や歓声が、一曲ごとにわき起こったという。「想いを込めて踊り、歌えた』大切なのは言葉じゃなくて、気持ちなんだと分かった」と千春は喜ぷ。

渡米時の写真や現地紙の記事などを広げ、
思い出話をする古田さん 
(前列左端) たち
 古田さんは、昨年から八月のライブ「プレイ・フォー・ピース・フロム・ヒロシマ(広島から平和の祈りを)を広島市内で始めた。「未来を背負う若者がヒロシマの思いを海外にも届けよう」と、今回の米国ライブを呼び掛けた。
「広島でのピースライブにも参加したけど、今思えば、本当の狙いが分かっていなかつた」と悔やむ高校二年の佑香(一六)=呉市=は「来年夏のピースライブは、違う歌い方ができる」と力強く話した。